辞任から解任。
畳みかける問題、というより人選の時点で過去を問わな過ぎてる。
わかってることじゃん、品が無い生き方をしてたエンタメ界の人達は。
お笑い芸人は全員アウトってことだと思う。芸能に関しても、直近の戦争とは一切関わりのない、たとえば500年以上の歴史がなきゃダメ、ぐらいの勢いで。オリンピックが公的事業である限りは表舞台では関われない。そこまでの配慮を求められることの窮屈さを感じるし、ホロコーストに対する過敏な反応には色々と思うところもあるんだけど、少なくとも世界の多様性に配慮する限りはもうどうしようもない。
それでいいんじゃない?
もっとオリンピックは質実剛健になっていくべきイベントなんだと思う。開会式不要、聖火を灯し、あとはひたすらストイックにやっていただく。盛り上がらない? それは商業的な問題でしょう? って話。商業的に儲からないイベントになって、それでもつづけられるかどうかってところで改めて考えていくべきことだと思う。
もともと命を落とすような男たちの戦いだった訳だ。
古代オリンピックが伝染病の蔓延に困ったところへの神の啓示としてスタートした、みたいな逸話を踏まえるなら原点回帰すべきなんだろう。争いを持ち込まない、というのはもう競技者たちについて国や地域や人種やなんやかやという応援の基準すら示さず、純粋に競技のみを見るぐらいのことで考えていく。
国もなにも背負わず、夢も希望も与えない。
ただ純粋に人類の限界に挑む、そんな新時代のオリンピック。