過去の事だから、と言っていいのは加害者じゃない。
被害者なのか?
たぶんそれも違う。被害者が許せばそれでいい、というのも理屈としておかしいのだ。被害者の性格が粘着質だったら、というだけで永遠に許されないというのも逆にいじめ的な状況に陥る可能性は十分にある。神様に懺悔すればとかそういう話はもう日本の文化じゃないとしか言いようがない。
結局は、法的に罪と罰をきちんと定めてやっていくしかない。
いい加減にこの辺りは明確にさせるべきだ。教師や教育委員会の裁量にまかせるのもおかしい。実害のあるものは刑法で対応しつつ、実害までいかない、心の問題としてのいじめを法的にきちんと定義して、それが発生した場合は速やかに解決を行うための手続きを行う義務を教師を含めて子供たち全員に教育するしかない。
と、思ってる。
過去のグレーな行いで今が炎上するというのはあまりよくない。別に今回の人を擁護するとかではない。人間が生まれてから死ぬまで清廉潔白であるべき、というのは極端な考え方で、だれしも間違いを起こすし、あるいは取り返しがつかないこともあるかもしれない訳だからこそ、きちんと償いまでシステムに組み込んでおかないと不公正だからだ。
その上で、人前に出る人は身綺麗に見せる努力をするか、公的な仕事をしないかを選んでおくべきだと思う。別にいじめミュージシャンがどうなろうと知らないし、今回の件ははじめて知って胸糞悪くて仕方ないが(80年代、90年代でもこんなもん許される文化なんて一部だろ)それでも何十年も経って問題視されるのは納得いかないという点については一定の理解はしたいと思う。人を殺したって一人なら二十年も懲役つかないのは事実からだ。
まぁ、恥知らずの報いではあると思うけど。
懐かしのセリフとヒロインとのデートを目指す夏休みはじめました! 今の子供はそんなにピーマン嫌いじゃないらしい、ってのは本当なのかピーマン農家の努力の青果なのか。#オラ夏 #NintendoSwitch pic.twitter.com/VqvpYLOoIc
— 狐島本土 (@fox_mainland) 2021年7月15日
のんびり夏休み気分どころではなかったのでプレイ日記は明日に。