伝説が始まってから900話

まだ伝説を作っている最中だった。

 

1000話はワンピースらしい話で読み応えは十分。麦わらのルフィというサブタイトルを使うタイミングとしてもあるべき場所なのはわかる。世界を知らなかった少年が、世界を知り、世界最強に対抗しうる力を手にし、変わらぬ夢を語る。1000話貫徹したからこその重みと言うものはおそらく空前絶後、ワンピースより売れるマンガはこれから(数えるほどだとしても)出てくるだろうけど、この形は唯一無二だろうと思う。

 

一読者として立ち会えた喜びは一入だ。

 

でも100話から20年(100話が収録されている12巻の奥付は2000年2月7日)経ってまだこれで本当に終わるのかという感覚は流石にある。1000話で変わらない重みと、1000話で変わってないという現実は変わり果てた読者の姿を映してしまう。思うのだ。20年前の少年だった自分に「ルフィ1000話になっても海賊王になってないぜ?」ってネタバレをかましたら果たして読み続けられるのかって。

 

900話の間に色々とあった。

 

それぞれのエピソードに好き嫌いはある。すべてを絶賛などしない。すべてが必要だったというクライマックスを尾田栄一郎は強調するけれども、その片鱗さえ見せてくれなかったことには正直言って失望もあるのは事実だ。ルフィは変わらなくても世界は変わってしまった、読者も変わっていく。結末までを区切り、終わりまでを煽るのならば、それに応えてくれてもいいのではないかと思う。

 

1001話からなにかが変わるのか?

 

おそらく変わらない。この区切りは単なる区切りだ。正直なところカイドウを倒せる算段が立ったとは思えない。色々と駆け足気味に調整しての1000話なのは明らかで、ここから筋書きとしての揺り戻しもあるはずで、そこを考えるとこの一年で倒しきれる印象がない。あと4年の内の2年をこの戦いに費やすのか? と思うと果たしてどうなんだと思う。カイドウは倒すべき存在だが、海賊王に直接立ちはだかっている訳ではない(ワンピースを手にするのに倒すことが必須とは描写されていない)のに、残りのストーリーのそこまでを割けるのか?

 

わからない。

 

尾田栄一郎にはこんな読者の不安を払拭するアイデアがある、のだと思いたいのだが、あまりにもストレートな1000話であったが故に今までと変わらないのではないかということは思わずにはいられない。まだあと10年描く! と宣言してくれた方が良かったなと思う。5年で終わるとしても10年描くと言ってくれていればこんな妙な焦りは感じなくて済んだような気がするのだ。