自粛って限界なんだろうか?

出かけられない辛さ、が正直わからない。

 

ゴールデンウィークだろうがもともと休みでもなく、休業を要請されない仕事なので生活があまり変わってないのもあるんだが、職場と家の往復に慣れすぎて感性が麻痺してるだけでもないらしい。

 

同僚は辛そうだ。

 

辛いと言ってる。

 

あまり人の言うことを信じないタイプの人間ではあるのだが、量的にこれは冗談じゃないんだと理解する段階に入ってる。多少なりとも共感せねばと言う焦りがある。

 

人と話をすれば自粛の辛さについて聞くことになり、わかるわかると相槌を打つ。そう言う日常へと変化してきた。なんかこれまで遊びには誘ってこなかったような人とも自粛が明けたらどこそこに行こうとか、なんとかを食べに行こうとか約束までしてる。

 

フラストレーションが溜まっている。

 

山梨の相当に軽率な言動と行動の女性も話題だ。辛いと言ってる方々にとっちゃ、ある意味じゃ自粛が伸びる要因のひとつになりうるので怒りを帯びたトークになる。

 

そこで興味深いことを聞いた。ヤンキーの子はナチュラルにヤンキー気質になる。それを言った人はもっとどぎつい言葉を使ってたがマイルドに言うとそう言う現象らしい。少子化の中で早婚型のライフスタイルの方々、自然と子供を持つようになる方々の子らが田舎の20代の圧倒的多数になりつつある、と言う話だ。

 

本当かどうかはわからない。

 

ヤンキー親世代は家庭と仕事を持って落ち着いたと本人は思っているが、本質的なヤンキーの気質までは変わってないので子供の教育に隙がある、と言うような話だった。口裏を合わせて嘘をついてしまう親子と言う構図は間違いなくそれだ、と断言されて曖昧に同調したが、腑に落ちたのも事実だった。

 

ヤンキーの子がヤンキーになることは悪くない。

 

子供の犯罪まで行かない非行ぐらいは社会が許容せざるを得ないものだと思ってる。仮に学校で行われる教育がそれを完全に封じ込められるものに至ったらある種の洗脳が完成したことに他ならないと思っているからだ。内心の自由を担保する以上、外からは踏み込めない領域がある前提で、あらゆる人たちの愚かさも内包されるべきだと思ってる。

 

非ヤンキーたがオタクも似たようなものだ。

 

オタクの子がオタクになる。

 

よくある話だ。

 

コロナは思った以上に世の中のありように影響を与えてそうな情勢だ。戦争まで行くかはわからないが自粛世代が誕生する程度には長引くような気がしている。自粛を強いられた親が子に自粛を強いるようになるみたいなことも起こるかも知れない。

 

窮屈な世界になって行く。

 

限界を云々するのはまだまだ早い。そんな気がしている。辛いと思う人々のストレスが巨大なエネルギーとしてこの社会の裏側で捌け口を求めて蠢いているイメージ。見えない爆弾の導火線に火が点いたような、そんな心持ちでいる。