ラブコメのマルチエンド化には反対しておく

ゲームはプレイヤーの選択に物語が委ねられているので分岐としてわかる。しかしマンガに限らず物語は作者が読者をそうあるべきものとして説得するのが大原則で動かすべきじゃない。

 

マルチエンドは絶対に差がつく。

 

プレイヤーの選択に委ねられるゲームでさえ、メインとサブ、人気不人気が出ることを考えればわかる通り、均質なクオリティにはならない。そもそもキャラクターごとに物語性やキャラ設定の奥行き、話における役回りなどが違うから単純に恋愛が成就して幸せそうな姿が見れてよかったとはならない。

 

作者の描きやすさ、思い入れの差が如実に出る。

 

これは読者が作品のファンであればあるほど隠しきれない。ハッピーエンドのはずなのに他のヒロインよりどうなのかと言う比較対象ができてしまう。勝ったはずなのに負けヒロインみたいな状況すらありうる。それが果たしてファンサービスになるだろうか。

 

負ける美しさもある。

 

ブコメの良し悪しをヒロインレースの勝敗で決定するのは少なからず不幸だ。結実する恋愛の裏には摘果される恋愛もある。リアリティとロマンのバランスに憧れや共感と言う物語の醍醐味があるはずだ。

 

五等分の花嫁はそこをしくじった。

 

ミステリ要素との兼ね合いで言えばヒロインレースと言う名の容疑者紹介から、真犯人が自白に追い込まれる推理パートへと読者の目線と話運びを切り替えなきゃいけなかったんだが、ギリギリまで真犯人を明かさないことにしてしまったことで推理への共感を得られず、その果実である恋愛要素が割を食った。

 

味付けミスだ。

 

ぼく勉はさして問題にならないと思う。

 

そもそも恋愛要素が薄味だ。マルチエンドにできる程度には主人公とヒロインの関係それぞれに運命的要素がない。いくらでも付け足して味付けを変えられる。その意味でこの選択自体は商業的にアリなんだろうとは思う。作者的にもファンサービスになると言う算段はあるんだろう。ヒロインを固定するほどの思い入れがだれに対してもない、と言うより物語としてのまとまりには興味がないようにも見える。そもそもこの作品ラブコメマンガとして最初からスタートしてるか? ってぐらい内容的には紆余曲折ある。色々食材をぶち込んだけど、カレールーを投入したんで料理名はカレーです、みたいな作品だ。

 

食べられるけど、具材が好きじゃなきゃただのカレー。

 

成功の前例とするには弱い。

 

なにより、今後のラブコメ作家たちがマルチエンドのためにバランスを取るようになると恋愛部分の味付けはつまらなくなると思う。極端な味付けによる客の限定、賛否両論、売れる売れない、時代が安牌を求めるのはわかる。でも、恋愛に正解などないのだから、作者の一念を貫く意志がないと安牌と言う名の定石だけでは退屈が避けられない。

 

だれが好きって表明するのは不平等だ。

 

面白いラブコメが読みたいのでマルチエンドと言う名の平等主義には反対である。それこそ恋愛の自由の否定だ。だれよりも好きになればこそ、だれかを選ぶ説得力が得られる。理性でも理屈でもない、情動をどう説得するか。全員の納得なんて目指しちゃいけないジャンルもある。