すべては黄泉へ返すつもりで生きる

思いつきで昨年末にはじめたブログを1年やり通した。継続は力なりと言うけど、力が継続によってしか生まれない類のものだと言う話だろう。偶発的に飛び出したものは消えていった。それが平成の30年である。令和に生き残ったものは生き残るべくして生き残る力を得ていた。

 

その意味じゃまだまだだ。

 

少なくともONE PIECEの読み返しが終わるまでは生きなければと思っている。単調な現実の日々にひたすらゲームを添え、生み出される力など微々たるものだが、自分が微々たる存在であることを受け入れることが生きることだと思っている。

 

そして死ねばいい。

 

ネットの記録も消えて行くものだ、と言うのが平成の発見だったと思う。あのサイトどうなったっけ? と探して見つからない現象に何度も巡り合った。動画サイトの隆盛であれほと熱かったFlashも消えていっている。YouTubeなんかもいずれはそういうコンテンツになるだろう。

 

でもいい。

 

消えて行くということの大事さはある。そこに死があるからだ。死なないものは生きてもいない。生きていたことを意識できない。多くの有名人が今年も死んだ。むしろ最近はだれが生きてるんだっけ、と確認する日々である。死んでからあの人は素晴らしかったという前に、生きてるうちに素晴らしいと言うべきだなと感じている。

 

2020年という数字に現実味がない。

 

2010年代と言う時代に現実味がなかった。災害が多かった気はするが、幸運にも当事者にはならなかった。たぶん消えたことを意識できないからだと思う。これからこの10年がなんだったのかを少しずつ感じていくのだろうと思う。おそらくは悪い意味で、だ。

 

良い時代になっていくはずがない。

 

明るい未来なんて別に子供の頃から信じてなかった。少子化も高齢化もずっと言われて改善されてないし、地球温暖化なんて理由すら立場で多種多様になって止められる訳がなくなってる。でもまぁ人類も消えていくからこそ生きているのだと思えば別にそれも構わない。

 

すべては黄泉に返す。

 

すべては過去になる。

 

酔っ払って書いてるこの文章を読み返して恥ずかしく思う日もくるだろうけど、それすらわかりきった未来の過去だ。予想外でもなんでもない。消えて行く生きる営みだ。

 

お疲れさま、また来年。