ONE PIECE 第90話

“何ができる”を読み返しました。

 

お前に勝てる

 

ルフィが自身の存在意義を宣言する回。少年マンガの主人公はそうでなくっちゃいけません。意外とこれをストレートに言い切ったマンガは少ないかもしれないけど、海賊団として一味になり、その船長をやる意味として言っておかないといけない必然性があったから出た名台詞かもね。

 

魚人と人間の差。

 

天はてめェら人間を差別し力を与えなかった

だから下等なのさ!!

 

この辺り、アーロンが種族主義に染まってる理由は後に深刻な過去として語られ、要するに差別された魚人がさらに差別を生み出す負のスパイラルだったことが明らかにもなるんだけど、この時点でのルフィの答えはまったく変わらず通用するのがONE PIECEの一貫性。

 

………別に噛みつかなくても

石は割れるぞ

 

このセリフはルフィがちょっと考えて喋ってるっぽいところがポイント高いね。ルフィも立場的にはアーロンとそれほど変わらないとこもあることがわかるサボの存在は後付けの線が強いとは思ってるけど、ここで差別被差別の問題に対して結果がすべてだと言い切れるのが海賊。

 

へ理屈を……!!!

 

アーロンがキレるのも、まぁ今となっては多少同情的に見てしまうところもある。とは言え、海賊として力を持ち出した以上、ねじ伏せられれば正当性はもうない。少年マンガとしてのONE PIECEのもっとも優れた点は、暴力を肯定する文脈を読者に最初から飲み込ませることができる海賊設定にあると思う。これはキン肉マンドラゴンボールも自覚的には組み込めなかったものだ。

 

戦いで決着をつける根拠をひとつひとつ作らなくていい。

 

読者もひとつひとつその根拠の正当性を検討しなくていい。

 

海賊だから戦って決める。男だから力には屈しない。大海賊時代と言う世界観はルフィがボスと戦って勝つ以外の方法で前進することを否定するぐらいの少年マンガとして確固たるものを提示したと思う。

 

そして後続は今のところ見当たらない。

 

幽☆遊☆白書がインフレに飽きたり、るろうに剣心が不殺を組み込まなければいけなかったり、ドラゴンボールがサタンの存在なくして終われなかったり、シャーマンキングがプリンセスハオったり、NARUTOがレボリューションしたりしたのは戦いの結果がすべてと言うありえない世界観ではなかったからだ。

 

戦いは戦いとして別の大事なこともある。

 

それはもちろんONE PIECEの物語にも含まれてはいる。だが、ルフィがそれを引き受ける必要はない。なぜならできないから。これ以上の理由も理屈もないと思う。ルフィがバカすぎると言う意見は多いが、下手に賢かったらアラバスタも空島もドレスローザも、そしてワノ国もルフィが後始末しなきゃいけない空気になっちゃったに違いないし、そんな物語は求められてないのはいうまでもないことだ。

 

バカだから戦いの決着だけで去れる。

 

超長編ストーリーでありながら、これは変わらない。昔のルフィは賢かった的な意見は、解決する事柄の規模がインフレしてるので、相対的にルフィが担うべきキャパが小さくなってるように見えるだけだと思ってる。