ONE PIECE 第51話

ロロノア・ゾロ 海に散る”を読み返しました。

 

ネタバレサブタイトルは自信の証。

 

ミホーク戦。内容については既読者には語るまでもない。うさぎを狩るのに全力を出すバカなケモノではないと首に下げたアクセサリーかと思ったら刃物だった十字架を出したところの嫌味な表情ったらないよね。

 

全力を出すまでもない。

 

世界一の大剣豪は結果の見えた決闘を受け、しかしその中でゾロの心力を評価する。敗北より死をとる。確かに強いが、それって剣士として強き者なんだろうか? と言う答えはわりと出てない。

 

弟子にしてなにを教えたんだろう?

 

ONE PIECE全体から考えるとゾロが対剣士で戦う相手としてはカバジの次で二人目なんだよねミホーク。それなのに鬼斬りをあっさりと止められ、三刀流を全部受けられ、虎狩りで心臓貫かれる寸前。剣術がまったく通じないと明らかにされる。

 

もちろん相手は世界一なんだが。

 

ここで考えてしまうのは三刀流の強さの説得力って意外とないってことだ。鉄が斬れるとか飛ぶ斬撃とか後の成長はあるんだけど、それは三刀であることの強さではない。世界との遠すぎる距離をゾロがどう縮めているのかいないのか、実はよくわからないまま進んでいる。

 

ただこれは完全なる挫折ではあった。

 

ルフィがなまじエースが死ぬまで挫折しなかったことを考えると、ゾロの強さとはあくまでこの敗北より死を選べる心力によってたゆまぬ努力を重ねて次回の誓いを完遂すること、と描きたいのかもしれない。

 

最強とは要するに負けないことだ。

 

ならばミホークとの決着はない。と言う見方もでてくる。この決闘で描かれているのはゾロの三刀流対ミホークの剣術ではなく、最強対井の中の蛙。ゾロが世界を知ったときには自ずと最強の座についている感じかもしれない。

 

弟子入りしても特に再戦に繋がる話がない。

 

ミホークを打ち破った、としても今のままだとそこに読者がカタルシスを覚える要素がないのだ。師弟関係も見えないし、因縁の相手とも言えない。話をこれから積み上げられるのかと言うと本筋から脱線しそうではある。

 

なぜ七武海やってるのか。

 

ミホーク自体の目的、なぜ大剣豪になり、最強の座につき、それがなぜ海賊で、政府にしたがってるのか。なにもかもが不明だ。七武海自体が初期構想要素ではなく連載の長期化の原因と尾田栄一郎自身が認めてる以上、ミホークにどこまでの辻褄合わせができるのかはやっぱり疑問ではある。

 

背中の傷は

剣士の恥だ

 

ゾロが笑顔で死を受け入れることに見事と返すミホーク。このマンガ屈指の名勝負なんだが、連載が長期化のしたことで、この戦いの意味が重くなるのか軽くなるのか、わからなくなっている。