父の日 物語における父

冒険の対義語は母、と言うのはONE PIECEにおける尾田栄一郎の定義だが、ならば父は冒険と同義語かと言うとそうはなってない。

 

父はなんなのだろう。

 

自分の年齢を考えるととっくに父が父になった歳は超えていて、そして自分が父になれていないから気持ちがわからないのかもしれない。

 

なりたいとも思ってないのだが。

 

物語における父の役割は存外難しい。ここで言う父はつまり主人公の父、あるいは父的存在のことだが、しっかり出てくる場合は立ち塞がる壁か、反面教師か、理解者か、なんにしてもそれなりの役割を振らないといけなくなり、結構、足を引っ張る。

 

いるとどう転んでも邪魔なのだ。

 

劇的に死んでもらう、絶対的な敵になる、ラスボスを兼ねる、ともかく自由にはさせておけない。下手すると主人公を食うからだ。

 

冒険をした者、が父だと思う。

 

一定の冒険の結果として主人公が生まれたことになってないと、いろんな説得力が減じる場合があるからだ。それは劇的な恋愛でもいいし、あるいは世界を救ったでもいい。

 

そして冒険をやめた者、であるべきかもしれない。

 

主人公より人生経験が豊富な冒険者だとやっぱり話がおかしくなる。ONE PIECEでドラゴンがすでにラフテルに到達してたらとんでもないガッカリ展開である、と言えばわかるだろうか。革命軍も大概冒険的だろうとは思うが海賊王とは全く違う方向なのでセーフみたいな感じだ。今のところ。

 

冒険をやめて、そして子の冒険を見守る。

 

そんな男が父ならばベターだろう。出しゃばってもいけないし、なんなら出てこないぐらいで丁度いい。うん。なんて言うか不憫だ。主人公を生み出しながらも、そこで終わってるかのような扱いを求められる。

 

でも父はそれを許す。

 

ありがとう、父さん。

 

報われない苦労、それが父だ。