あの豹変っぷりの演技は素晴らしかったっすね。
作画も合わせてあの邪悪さ。
バトルの行方を変えてしまった(結果的にはそれがルフィを勝たせた)しょうもないキャラ、と言えばその通りなんですがマムの娘という意味ではかなり正統的な性格設定だとも思うんですよね。
自分のことしか頭にない。
ということで今週のアニメはルフィとカタクリが覇気使ってうるさい外野を立ってられなくする話だった訳ですが、原作ではカットされたスムージーの活躍も補完されてシボシボの実が強いけど再登場するほどでもないことがハッキリした感じ。
マムとの決着はつけるだろうけどビッグ・マム海賊団はもう出ない。
個人的にはそう見えました。
理由はスムージーにマムが使ったような巨人族の剣技が乗っかってなかったからですね。部下の水分を吸収して巨大化って描写はなかなか悪辣だし(悪魔の実の性質として海からは水分を補給できないんだろう)それを放出して海を割りサニー号を一発で沈めそうとか強いのは間違いないけど、見て避けられる超操舵を獲得した方がむしろ強そうだった。
マムは完全に子育てをしてない。
子育てする暇もないペースで子供産んでるからまぁ当然っちゃあ当然だけど、海賊王への野心はあっても海賊団組織運営はほぼペロスペローが担ってる風である辺り、目標を組織的に達成する体制にはなってない。
子供たちの側は母親を抑えるのでギリギリだし。
この後、ケーキの味次第で海賊団が終わるってペロスペローが断言する。
カタクリみたいな実力者もいるし、ペロスペロー自身がかなりの胆力を持った海賊っぷりを見せてるだけに最初読んだときは疑問だったんですが、考えてみると50歳の彼が組織的にトップであった期間がいつからなのか、相当の苦労をして今の状態なんだろうなというのは推察できそう。
ペロスペローの父親ってたぶんシュトロイゼンだよね。
顔が似た系統だし(モンドールも似てると思う)
マムの頭は悪くなさそう(知識はともかく地頭という意味で)だけど精神的には子供のままなんで本人の発想で政略結婚を繰り返す手法を思いついたとは思えない。それを拭き込めたのはシュトロイゼンしかいない。若い頃の美人設定を考えると吹き込む前に男女の関係になって取り繕うために提案したかもしれないけど。
で、シュトロイゼンもたぶんマムを抑え込むために料理するしかなくなってた。
ペロスペロー含め、上の方の兄姉たちがそれなりにしっかりと結束してるのはマムという共通の脅威があったからこそであり、カタクリの外見コンプレックス含め、マムの子供たちは概ね自己肯定感に乏しいのは父は不在だし母の愛はないし、みたいなところかなという感じ。安っぽい精神分析みたいでアレだけど。
ペロスペローは相当の苦労をして今の海賊団を作ったと思う。
それでもマムの右腕、みたいな存在にはなってない辺り(それはカタクリでさえもそう)圧倒的な力関係の差があり、ヘタを打てば命を取られるという危機感を常に抱きながらなのは想像に難くない。作中で殺されたきょうだいはひとりだけだけど、まぁ相当数はいたんだろう。
それでマムが死んだらどうなるか。
そりゃもう結束は維持できない。
フランぺに現れたのはそういう海賊団の将来そのものだと思う。母親に認められない子供たちがそれぞれの赴くままに自分を肯定しようとすればそうならざるを得ないし、それを止めるすべもない。マムの意志が受け継がれてる、とも言える。当然のことながら止められない。
カタクリが男の勝負にこだわったことさえ、そういう気性ということだ。
エースの場合と同じく、この世界は気性も受け継がれる。
少年マンガの文脈では強くて潔いライバルだけど、マムを海賊王にするという目的があるならそこは妹を立てるべきだった。確実な亀裂、妹に従う部下が決してカタクリを尊敬してない辺りも、バラバラの個性をなんとかつなぎ留めてる集団だということだと思う。ペロスペローに同情的人気が集まるのは頷ける話だ。
崩壊に向かっている海賊団。
ルフィに引っ掻き回されたのは偶然の作用が多いエピソードではあったけど、ルフィが現れなくてもいつかはそうなっていたという話なんだなと納得した次第。立て直して再び強敵として立ちはだかることはたぶんないのだろう。そう思うとちょっと切なくはあるけど、深く紹介されないキャラが多い辺りでそれは察すべきなのかもしれない。
ま、マムがあと100年生きてもおかしくない世界観ですけどね!(台無し)