欲しいのはBotW続編の発売日情報だけかもしれない

ニンダイ日記2日目。

 

年内に情報出します、制作は順調。と顔出しで謝られる形になって、まぁ見にきてる人の期待を裏切ってる自覚があるならイメージボードの一枚でも出せば良くね? そのくらいは別に良くね? と思った訳ですが。よく考えたらそれも別に要らんのかもと思い直してる。

 

下手に初見の感動を損ないたくない。

 

BotWは情報を整理するとおそろしくサッパリしたゲームだ。記憶を失った男が謎の声に導かれ厄災なるものを倒す。それだけである。リンクと言う名前は呼ばれるし、記憶を思い出すシーンはあるけど、それをリンク自身の中でどう受け止めたかは実はよくわからない。

 

そもそも思い出さなくてもガノンは倒せる。

 

初見でなにも思い出さずにガノンに直行して倒してそれてクリアで終わり!としたプレイヤーがどれだけいるかはわからないが、その場合は薄いゲームと言う評価になるのは確かなのだ。だってクリアはクリアなんだから。それを許してるのは制作者である。

 

かなり思い切った判断だ。

 

作り込んだ世界、遊べる様々な要素、それらをあますところなく遊ばせたいと思うのはエゴかもしれないが、当然の気持ちだとも思う。あの長いスタッフロールの労力を一時間程度でクリアってことにされ、薄いとあ言われたたら釈然としないはずだ。でもエンディングへのフラグは最小限に抑えた。

 

押し付けない。

 

ゼルダ姫は流石に待ってるので目を覚ませとか早くとか言うし、赤き月もちょくちょくくるけど、別にリンクに100年前のことを思い出せとか、敗れた仲間たちの仇を討てとか、気持ちの部分は押し付けてこない。本人の意思、つまりプレイヤーにすべてを委ねてる。

 

ここが自由の根幹であり、ゲームの心地よさだ。

 

続編がこれを踏襲するならストーリーはプレイヤーが能動的に世界を探索して発見しない限りは特に語りようがない。むしろ語ったら押しつけになる。今回のボスはコイツです。今回の探索に使えるギミックはこれらです。ぐらいしか発表できないゲームなのだ。それ発表したらもうあとは遊ぶしかない。

 

プレイヤーの体験がゲームのストーリーになる。

 

作り込まれた世界を歩き、ひとりひとりで物語を見つけていく。そう言う他にはない喜びを過度な事前の情報は潰してしまう。そう思っての年内情報解禁予告のみならば、本当に情報解禁されるときは発売日とセットのはずだ。できました。さあ遊んでください。と言ってくれる日を待ってるのだ。

 

だから待てる。

 

待てると思った。ベヨネッタは待てない。

 

いや。マジでどうなってんの。ステージ制でボス倒していくスタイリッシュアクションじゃないの? そんな難航する要素あんの? 秋に出ますぐらい言って良くない?