ONE PIECE 第143話

“不器用”を読み返しました。

 

…聞きな

お前は4日後の午後5時半に死ぬ

…それが寿命さ

 

Dr.くれはの診断。ヒルルクは死ぬことが決まっており、最大で3週間体をダマす治療を行える。割と誤解されてるが、チョッパーの持ってきた毒キノコが殺した訳ではない。

 

不器用な男2人が足掻く回想。

 

この世の全ての人間は救うことができる、と言うヒルルクがそもそも改心してたのかはその手段の選ばなさにおいて疑問が残るところだが、桜による奇跡の治療を目指し、チョッパーはその死を回避すべく万病に効くと噂のキノコを求めてアミウダケ人間はあたりをつける。どっちもやってることの根拠が乏しく、そして読者から見て上手くいかないことがわかりきっている。

 

トナカイの群れ。

 

チョッパーはここで自分を受け入れなかった群れとの戦いを経てる。明らかに強そうな大柄のリーダーに対して角を付き合わせて戦う姿はヤケになって暴れていたときとは比べ物にならないのだが、気になるのは悪魔の実で強くなってる風ではないことだ。ヒトヒトはやっぱりそれ単体では動物に打ち勝てないヒトでしかないと言うことなのか、子供トナカイが渡り合えてるのはその強さ故なのか。

 

生ぎててドクター………!!!

…ドクター おれ医者になりたいんだよ…!!!

医者のやり方…

教えてくれよ…!!!

トナカイでも…

やれるかな

 

ONE PIECEの不思議なところは割と間違った大人を手本に道を決めていくってところだと思う。シャンクス然り、ヤソップ然り、ヒルルク然り。ある意味で、正しさが行動の理由にならないようにすることこそが、受け継がれる意志であることを強調する要素なのかなとも思う。

 

海賊になることを受け入れられる人物像。

 

下手に善人を出していたらおそらく物語のバランスは相当変わっていて、あるいは崩れていたかもしれないと思うと、このコンセプトを決めていたのか、感覚的に理解していたのか、どちらにしてもストーリテラーとしての考え方が若いうちに固まってるなぁと感心するところ。このセンスはどっからきたんだろうね。