作家と創作物と薬物

頭がおかしくないと凄いものは生まれない?

 

残念ながら、そうだと思う。

 

それが才能だ。

 

こう言うと批判を受けそうだけど、平凡であるということは退屈であるってことだ。だから薬物に頼っていい、という話じゃない。

 

けれど才能は永遠じゃない。

 

残念ながら自分自身は平凡の泥の中をのたうつ人間である。だから想像だが、才能のある人もどっかでそれを失ってると思う。単純に磨り減る、弾切れになる、時代に合わなくなる、新しさがなくなる、それは受け手が感じる以上に作り手が感じてるはずだ。

 

最初から才能がなければ絶望はない。

 

しかし見えていたものが見えなくなるのは絶望だ。恐怖だ。頭のおかしさを競っている世界にいた人たちは自らおかしくなるしかないのだと思う。薬の力に頼っても、だ。

 

人間は弱い。

 

別に同情してる訳じゃない。素晴らしい創作物を生み出せることが違法行為を正当化しないと言うことを毎回確認すると言うだけだ。

 

そして人の弱さも娯楽だ。

 

そこまで消費される覚悟が本人にあるかどうかは問題じゃない。作り手が受け手に責任を持たないように、受け手は作り手の責任を引き受けないというだけのことだ。サリンジャーを読んでジョンレノンを撃ち殺そうが、サリンジャーが責められる謂れはない。

 

頭のおかしさで競う人たちはその才能を発揮すれば賞賛され、その才能を失ったことを嗤われる。それだけだ。嫉妬は醜い? 醜いのが人間だ。弱いのが人間だ。それを否定して目を背けることが相手を同じ人間と見てないってことだと思う。平凡という同じ泥に浸かる人間としての歓迎の儀式みたいなものだ。

 

ようこそ退屈へ!

 

あとは這い上がれるか否かでしかない。マッキーは偉かったとオレは思ってる。ハングリースパイダーも実際いい歌だった。カポーティだってキングだって中島らもだって良かったものは良かったのだ。創作物は悪くない。悪いのは人間だ。いつだって人間だ。

 

それを許さない人がいるのは仕方がない。

 

世の中か窮屈になるのも仕方ない。

 

電気グルーヴの熱心なファンではないけど、ピエール瀧の演技は結構見たし、あの雰囲気はやっぱり才能だと思う。代わりがいればそれもいいけど、代わりがいないのなら再起してほしいとは思う。

 

優しさでもなんでもなく無責任な受け手として。

 

あとは身近に接する周囲の人との関係次第だ。薬物は違法だし、そこに流れる金がロクでもない金になるのは間違いないだろうけど、世の中にある金のほとんどがロクでもないってことはみんな知ってることだ。別に有名人の金だから名前付きで流通する訳じゃない。

 

原田宗典の新作を待ってる。

 

勝新の映画も見る。

 

エジソンの発明から連なる文明の利器も使う。

 

頭のおかしい人が時代を作り、そして平凡なオレたちで使い捨てる。それが世の理ってやつだ。恨み辛みはあるかもしれないがそれが人間って業だ。そこを綺麗にしようとするのは勝手だけど、絶対に上手くいかないとだけは断言する。

 

綺麗な世の中なんて歴史上なかった。

 

そしてこれからもない。

 

人間が消えれば歴史も消える。